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正倉院宝物の筆はすべて紙巻仕立ての巻き筆

紙仕立ての巻き筆の構造は中心の毛(芯毛)の腰部分を和紙で巻き、さらに毛で巻き、これを繰り返し、一番外側に毛を巻いて、その根元を糸で 縛り、竹管に差し込む。 巻筆の部位の名称は、芯毛、巻毛、巻紙、これらを全体を筆穂、竹管から出ている筆穂を筆鋒と言い、その尖端部分を穂先あるいは命毛とも呼ぶ。一番外側の巻毛を化粧毛と言う。筆鋒の出とは、毛のない状態の巻紙のことを指し、腰と腹に区分する。腰丈は一番外側の巻紙の丈に相当し、腰丈は筆鋒の出から腰丈を引いた寸法である。腹と腰の比率により、腰の高低を表す。 紙巻仕立の5段構造の巻筆を古式に従って表記すると「五営成筆」と言い、その筆穂の構造と部位の呼称を図に示す。 この古式「五営成筆」の製筆法はまず 、第1営(芯毛)は筆鋒の命毛となるので、細微優良な毛を使用し、揃えて、麻糸で縛り、先端部分を残して和紙の薄書院紙(1段目巻紙)

正倉院宝物の収蔵から見た筆の流れを見てみました。

正倉院には聖武天皇(701~759)ゆかりの美術工芸品や生活用品が多数収蔵されている。それらの中に、書の道具(文房至宝)、文房具などがあります。その「文房四宝の筆」を見てみます。 漢字が日本にもたらされたのは、後漢光武帝から奴国王が授かった金印「漢倭奴国王」や 前期古墳時代に埋葬された中国鏡の銘文などから、1世紀から5世紀頃と考えられる。 720年に編纂された「日本書記」の応神15,16年(404、405年)条に、百済からの使者が 経や諸々の典籍をもたらし、教えたとあることから、この時に漢字が朝廷公認の形で受け入れられたと考えられる。 また、推古18年(610年)条に、高句麗の僧が絵具・紙・墨の製法を伝えたとあり、同時代に筆の製法も伝えられたと思われる。 正倉院古文書の伊豆国正帳には、筆と墨の製造の料として租稲が充てられたことが記されている。空海(7

正倉院の毛の調査の時に天平筆をまねて製造!

正倉院には聖武天皇(701~759)ゆかりの美術工芸品や生活用品が多数収蔵されている。それらの中の宝物に用いられた動物の毛について、2009~2012年に調査しました。 第67回正倉院展にはフェルトの敷物「花氈」、うちわのような仏具「柿柄愁眉」、伎楽面「力士」筆は3̠本出陳されます。 その時に、西の宝物の倉庫に入りまして、1300年前の筆を目の前にして、大大感動しました。   手は震え、声も大きくなる。その日半日は興奮していました。その感動が調査も終えて熊野に帰りました。その感動をエネルギーにして、自然に見たまま、兎の毛で紙を巻いて造ってみました。 兎の毛の材料も倉庫にありましたので、材料は豊富に使えました。 奈良時代の正倉院宝物の毛の調査から、筆18本を専門家の目からの調査、科学的な目からの調査をしてきました。当時、使われてい