- 1948年 熊野町生まれ。獣毛に囲まれて筆作りを見ながら育つ。大学卒業を前にして父親が病気で倒れ、会社の手伝いを始める。そのまま文学堂製筆㈱に入社。営業活動の傍ら、筆匠・広徳から筆作りの基礎を学ぶ。
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- 1972年 中国・広州交易会に参加。当時、香港経由で中国に入国。 これを機会に中国の文房四宝(硯・筆・紙・印材)の一つである“江筆”の産地めぐりが始まる。
(筆・善蓮湖筆・蘇州湖筆・桃源湖筆・北京毛筆・天津筆・青島筆)
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- 1980年 熊野筆事業協同組合青年部部長の任を受け、熊野筆の産業活性化に貢献。
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- 1980年 同青年部で、中国研修プログラム(上海・北京・天津・広州・香港)を企画し、研修旅行を挙行。
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- 1983年 熊野筆事業協同組合青年部、“筆の基礎研究・5カ年計画”の実施(S57年4月~S61年3月)。 原毛の処理、染色、毛もみ等の研究と応用を目的に、広島県立福山繊維工業試験場(当時)の指導を受けながら、原毛の脱脂・染色・墨の含みなどの研究に取り組む。
その結果、伝統技術の技の科学的解明が出来、1987年に研究終了。
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- 1984年 “THE筆 ― 弘法は筆を選ぶ” (日貿出版社)を出版。
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- 1985年 全国中小企業団体中央会・組合指導者特別研修事業(海外研修)に参加。 ヨーロッパ班(イギリス・西ドイツ・フランス)において、ケルン大学でマイスター制度を学ぶ。
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- 1987年 熊野筆事業協同組合、組合マーケティイング強化対策事業へ参画。 熊野筆の認知度、関心度等を把握し、今後の筆の需要拡大、新商品開発のためのマーケティング調査を実施。
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- 1988年 熊野筆事業協同組合理事、青年部部長を退任。
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- 1989年 “筆の里くまの会議”の設立を呼びかける。 将来の熊野町の街づくりを考える会議を呼びかけ、広島市のベットタウン・他都市への通過ルートだけになりつつあった熊野町の将来像について、議論
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- 1991年 “筆の里くまの会議・筆の里くまの観光基本構想報告書”を作成。 熊野町町民生活にとって魅力ある街づくりとは、“筆”を活かした地域振興事業であることを報告書にまとめる。
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- 1994年 “筆の里工房”オープン 1989年から始まった“筆の里くまの会議”の成果の一つとして、“筆の里工房”が設立される。
ここしかないもの、熊野町、学びの場、創造の場、礎としての筆の里工房が誕生。
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- 1996年 第1回筆の里“ありがとうのちょっと大きな絵てがみ大賞”を企画。 筆の里工房の定期的な展示の一つとなっている絵てがみ作品の募集と展示を企画。
審査委員長は「絵てがみで自分史を作る会」の会長・増田美恵子氏に(第14回まで)お願いし、自身は審査委員としても参画。
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- 2009年 正倉院特別調査 毛材質調査の調査委員として参画。 H21年から23年の3年間、正倉院の依頼により、筆、伎楽面、しゅしゅび、鞆、馬鞍、毛氈に使用された動物の毛についての
材質調査に参画。熊野町から伝統工芸士・実盛康宏氏、筆匠・筆歴史家・向久保健蔵が、 奈良時代の天平筆の紙巻筆について調査し、報告する。 同筆に直接触れて調査した数少ないうちの一人。報告書はH27年度の正倉院紀要37号にて詳細が掲載されている。
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- 2010年 筆の里工房 特別展「陽明文庫・国宝展―近衛家1000年の至宝」の解説員として参画。 平安時代の御堂関白記、倭漢抄、熊野懐紙を解説。そこで得た知識を筆つくりに活かす。
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- 2013年8月 芸術系大学合同交流研修会(主催 筆の里工房) パベルディスカッション “そうだったのか?「熊野筆づくり」”でパネリストとして参加。
古来の脱脂法、毛もみ・火のしを使った古来の脱脂法のメカニズムについて解説。
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